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今まで生きてきた中で一番感動した小説のご紹介!

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今まで生きてきた中で一番感動した小説のご紹介! 自分も、離婚した祖父、祖母、自分の親自体も一時期そういった危険な時期があった。 ボクの家系は、母方側が仏教で、父方側がキリシタンで・・・・ なので、何となく、仏教の教えな本も、教会に行って、聖書を読んだり賛美歌歌ったり・・・ どっちもやらされている感になって、自分は神様は存在しない派に変わったと言うか、何かをすがる前に、自分の足で立って歩んで行かなくては行けないという事なのでは?っと気づいたからなのだけれども。 何より、何年たっても永遠に忘れる事が出来ないのは、母方の父(祖父)が亡くなった日が、ボクの誕生日と同じと言う事。 倒れて入院したと聞いた時、御見舞に行ったときには、喉に管を通している状態で、とても会話できる状態ではなかった。 その管は、タンがつまると行けないので、その管に時々チューブをさして、タンを取る。 取られている時は、苦しいのか、物凄く体を揺らしながら苦しんでいた。 手を握ると、ボクの手をしっかりと握りしめてくれた。 意識と感情はあるけれど、もう会話も出来ない状態。 そして、自分の誕生日を迎えたある日、幼馴染が、ボクの為にお誕生日会をしてくれる事になっていて、お友達が来るのを待っていると・・・訃報が・・・ ボクのおじいさんが死んだのだ。 実は、御見舞の時、本人の顔を見ても誰だか分からなかった。。。 そして、お葬式の時に使う写真が、おじいちゃんの棺桶近くに立てられて初めて知った。 時々、尼崎であっていた、おじさんが、ボクのおじいさんだったのだ。 おばちゃんからは、あまり尼崎のおじいさんには合わないほうが良い的な事を言われていたから、物凄くショックだった。 口数は少ないのだけれども、いつも優しい目でボクを見てくれていて、、、会うと緊張するけれど味方になってくれている・・・そんな接し方だった。。 死んでから、母方の母(祖母)である、おばあちゃんから色々語られる事があった。 どちらかというと、ぼくは、おばあちゃん子な所もあって、介護程じゃないけれど、当時、おばあさんが住んでいる立花駅から、自分の住んでいる海老江(野田、野田阪神)が電車一